初めまして。星の数ほどあろうと思われるWebサイトの中から当院のホームページへお越しくださりありがとうございます。やひろ整体院の八尋と申します。
昔から「袖触れ合うも他生の縁」という諺がございます。いえ正確にはまだ触れておりませんが、今生ご縁が繋がった場合に会った事もない相手から患部など触れられる事になる訳ですから、可能な限り私がどういった人間でどんな手技をもってどの様な治療をするのか? それを知って施術を受けるのと知らずして受けるのとではとても大きな違いが生じますので長くはなりますが心の奥底から湧き上がる整体師としての思いを打ち明けたいと思います。
苦悩設定した幼少期
1974年、八尋家の三男として生まれました。共働きの家庭であった為、夜明け前の幼稚園で先生が来るのを待つといった今では考えられないような園児でした。又、幼少期より重度のアトピーを患っており母を起こしては(背中を掻いて!)と試みるのですが疲れて眠る母がそれに応じてくれる事は至極稀な事でした。
小学生の時、ラジコン欲しさに兄に倣い新聞配達を始めたのですが、当時は膝の高さほども雪が積もる事があり手足は冷たくて麻痺感覚、頭は眠たくてフラフラな状態に。そんな時に限って牛乳配達の軽トラックのおじさんが現れてはヤクルトなどをくれ「頑張れよ‼︎」と声をかけてくれたり、縁側に座り直接受け取るのを楽しみにしてくれた老夫婦、そこで頂いた励ましの言葉が今でも忘れられません。ある時、積もった雪で田んぼと道の境が解らずに自転車ごとダイヴした事があります。雪解け水でドロドロになったチラシを掻き集め残りの十数軒を配ったのですが、クレームが全く無かった事に気づいたのはしばらく経ってからの事でした。
そんな子供時代を過ごす中である想いが日増しに強くなっていきます。「自分は何者でなんでこんなに苦しいんだ⁈きっと意味がある筈だ‼︎」と。その答えは三十五歳を過ぎる頃まで得られませんでした。
神道との出会い
1992年、18歳で親元を離れ暮らす様になってからも霊性探究の道を歩む一方で、現実世界の方はというと次から次へと困難な状況を創り出しては自らを窮地に追い込む、そんな日々を相変わらず続けていました。
ある日のこと、導かれるように福岡で生活する叔父の元へと通い始める事となります。
名古屋から新幹線で数時間、当時、神事(かみごと)をされていた師の元では当時の私よりも一回り程離れた兄弟子達が既に学ばれ多くの気づきを得られていました。
そこでは「神」と呼ばれる目に見えぬ存在たちとのやりとりが神事の中で行われ、多次元からなるこの世の仕組みの多くを知る事となるのですが、「何者か?」の問いに明確な答えは得られず、私生活に戻り周囲を見渡すと同じように心の葛藤を抱える人は居らずスピリチュアル性を自ら封印して生きる事には変わりない人生をしばらく続けたのでした。
奇跡体験 – その1
師から学んだ禊の行法を続けながらもやがて長女、長男を年子で授かります。二人とも乳児から幼児へと変わる頃には私と同じアトピー性皮膚炎と診断され新たな苦悩の日々が始まりました。幾つかの病院、良いといわれる治療法などありとあらゆるものを試しましたが症状が改善される事はなく、ある時通っていた保育園より退園を迫られる事に、理由はこうでした。
「他の親御さんからクレームが出ているので登園を控えて欲しい!」と。
確かに長男の頬は赤くタダレ、町ですれ違う子等からは振り返り指差される状態でしたが、余りにも酷い対応に神前に座り訴えました‼︎
(子供たちまでなぜこの様な事に!)。
その答えを得たのは数日後の事でした。
私達の過去生に隠れキリシタンとして生きた時代があり踏み絵を踏まずに火炙りとなったこと。
その時の炎が最も強く撫でた太腿やお尻、頬が重い症状であった事。それを知って呆然としながら泣き崩れました。
さぞ熱かったことだろう! さぞや無念であったろう! と。
そんな過去を知ってから暫くのこと。何処へ行っても何をやっても治る事の無かった彼等の肌はみるみるうちに治癒へと向かい完全に癒されたのでした。
人は幾つかの課題を設定して生まれて来ます。
子等は輪廻での気づきを携え親を選び、私はそれを紐解いた。しかしこの神事では私の課題の一つである「アトピー平癒」には至る事はありませんでした。
奇跡体験 – その2
おそらく多くの人たちは一生を安定した生活を望むものだと思います。が、私は違いました。
辞める事をしなければ、定年までもその後も安心といった大手の会社を6年程で辞め次の扉を開きました。
一生をこの箱の中で変わらぬ人達の中で過ごすといった選択肢は自分の中に無かったからです。
当時の私はどうやら「肉体を極限に追い込めば目覚めが得られる」という感覚を潜在的に持っていたようで次に選んだのは高給料検索でTOPにあったS川急便でした。昔から体力だけは自信があった為気張って働き30歳にはマイホームを。家族も増え物質的に満たされた生活の中での数年間を体験するのですがやがて歪みが生じ始めます。
繁忙期には帰宅時間が日をまたぎ夜明け前には出勤する。ある時、身体が限界を越えたのでしょう。腰に激痛が走るようになりました。歯を食いしばってのトラックの乗り降り、痛みから夜も眠れぬ日々。
MRIに写る画像を見てドクターからは「絶対安静が必要!」そう告げられました。
いやいや安静どころか1日たりとも休む事は出来ない!皆に迷惑を、イヤそれ以上にローンを払わねばならない!と。
可能な限り平静を装って仕事を続けたのですが最終的に「もはやこれまで」の日が訪れました。
自宅に帰り風呂場で禊を済ませ神前に坐り祈りました。(このままでは家族生きていけません!何とか…)
翌朝目が覚めると腰の痛みが消えている。完治していたのです。
それから数年後、ずっと諦められなかった事、自らに封印した能力を活かしチャレンジする為に転職するのですが更なる試練と挫折が待っていようとはこの時は思っていませんでした。
自分の身に起きた奇跡体験はここでは書ききれませんが当時の事は10年以上経った今でも時折夢に見ます。
もう忘れても良い頃なのに…
昔、昔取った杵柄
2005年、30代に入ると自分にも他人を癒す力がある事に気づきました。手刀を振り下ろすだけで、又電話口で「エイ!」と気合いを入れるだけでご相談者の聴力が戻ったり身体が楽になったりの経験をする。そんな時、若かった事もあり有頂天にもなりました。
「これはスゴイ!これで食べていける‼︎」と。そうして天狗になっては力を失い、諦めかけた頃にまた授かる。そんな事を繰り返しながら私生活の方は泥沼の様相を呈し、昼間は配管工、夜間にラーメン店、深夜1時の閉店後にそのまま新聞配達へと向かい自らを追い込む日々。
ある日の事、肉体疲労は限界に達し極度の睡眠不足から脳がサバイバルホルモンを放ち始めたのか?運転中の眼前に星達が降り注ぎ得も知れぬ幸福感に包まれ止まらぬ涙。
この時、完全に「ゾーン」に入った事で覚醒体験を果たしたのでした。その様な状況の中で垣間見た過去生の幾つか。
真言密教の僧侶として修行に明け暮れる日々、又違う時代では里に降りては病気治しをし村人から食べ物を貰っては山へと帰る行者として生きた人生。
見た事も聞いた事もない佛さんの名前や真言をいつしか口ずさむ様になって数年後、いつもとは違う一つの依頼が入ってきました。
浄霊師から整体師へ
自分は三次元の物理世界で生きるにはきっとポンコツなのだな!そう気づいたのは40代になってからなのだと思います。当時はただ生活環境を良くしようと足掻き苦しんだ。離婚、破産もした。ほぼ無一文の中バックパック一つ背負い雨風凌げる場所を探した事もあった。さすがにここまで落ちると「目覚め」を阻んでいた『我』なるものが一本、また一本と抜け落ちていった様にも感じました。
自分のいたならさのせいで失った最愛の家族。空っぽになった家の中で本当の生き方を模索する日々。「自分の天職は何なのだろうか?」そうして過去の経験の点と点が繋がりやがて輪となった。「整体を学び日本一の施術家になる!」と。
そう決断するや否やまるで宇宙は待っていました‼︎とばかりに整体の師への巡り合わせ。スクールに通う費用などを引き寄せ始めたのです。
卒業後も直ぐには上手くはいきませんでしたが2年程経ったある日。自分の力を試し成長を加速させる為に「日本全国出張整体の旅」を決意します。
沢山の人に出会いました。多くの人に助けられもしました。その旅の途中で得た奇跡。
奇跡の条件
彼の顔を初めて観たとき、ひと月後の近畿の山間で静かに生を失いゆく姿がボンヤリと浮かんだ。聞くと余命3ヶ月との事。
施術依頼を受けた訳ではない。ただしばらく住まわせて頂いていたソウルファミリーの姉さんの元へ訪れたご友人の一人だった。
私は無意識に心の中で繰り返していた。
(無理だ!やらないよ!まして末期だなんて‼︎)
君、幾つだ?(39歳です)
若いじゃないか! 体見るからそこに寝な! 気づくとそう告げていた。
痩せ細り生気を感じない患部にズブズブと入れ込む様に感じた施術者の指、そこへ降りてきた真言と経文の類を流し込む。
何度か「ガハッガハーッ」と初めて肺呼吸をしたかの様に深い呼吸を取り戻し始めた。
何時間経ったのだろう?隣で祈り続ける姉さん達に(もう大丈夫だよ!)そう告げて施術を終えた。
私は寿命よりも経験の方がこの世では優先される事があると信じており、奇跡が起こるには条件があると。それは
「起こす側」がそれに値するか?そして「起こる側」がそれに値するか?だ。
施術中、私はあの「ゾーン」に居る事ができた。そこに一切の思考思念が入る事はなくただ「起こる」に任せた。
彼の方はというと充分にそれを「起こす」準備が整っていた。
困った仕事のクライアントからは報酬を受け取らず何者かの為に何時間も祈り続ける信心、その不器用な生き方をどこか他人とは思えぬ様に感じていた。
術後も神前で何時間も経文を唱え続ける姿に、もしかしたら過去に私は彼から助けられた事があるのかな?そう感じながら別れのハグを交わしたのがつい昨日の様に思える。
追伸
2019年12月、長かった旅を終わらせ旅の途中で巡り合った伴侶と共に故郷に帰り念願であった整体院を開業した。「スピリチュアルを封印して」のつもりであったが3ヶ月経たぬうちにその想いは木っ端微塵となった!肉体と魂を切り離しての施術などどうしても無理であった。それは表裏一体であり、目に見えぬ因果もあればご先祖事も絡んでくる。
神道の師の言葉は忘れない
『お前は霊能者ではない、我を捨てよ!』
整体の師の教え
『生命に礼を尽くす』
私は施術を受けられた方々が痛み苦しみだけではなくその後の人生が良くならなければ嘘だと思っている。そして私も長生きしなければならない。
そう新たな決意を天に宣言したとき、1万2千年前の叡智『カタカムナ』に再度辿り着く…2020年春、あの経験というギフトから一年後。ソウルの姉さんから一本の電話が鳴った。
「彼、結婚したんだよ‼️」💌
本気の方だけお電話ください! 090-7863-4727 【全国行脚以外の施術場所はこちら☟】 長野県南佐久郡佐久穂町 AAコーポレーション・セッションルーム 完全予約制 他県(遠方)への出張整体もご相談に応じます。